「最後に八王子の映画を」 斎藤耕一監督死去 観光大使、地元に貢献

「津軽じょんがら節」「親分はイエス様」など多くの名作を残している八王子市在住の映画監督、斎藤耕一さんは、戦国時代の八王子を舞台にした新作の準備に意欲を燃やす中で28日未明、肺炎のため80歳で息を引き取った。
八王子観光大使などを務め、多摩の文化振興にも貢献してきた監督の悲報に、関係者は大きな悲しみに包まれた。通夜は12月3日午後6時、告別式は4日午前10時から八王子市斎場(八王子市山田町1681の2)で営まれる。
斎藤監督は八王子市出身で、大学卒業後、太泉映画(現・東映)に入社。1954年に日活に移り、シナリオなどを担当した後、67年に斎藤プロダクションを設立。「囁きのジョー」で監督デビューした。

  映像の美しさと音楽の使い方で「日本のクロード・ルルーシュ」の異名を持ち、73年の「津軽じょんがら節」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。「旅の重さ」「稚内発・学び座 ソーランの歌が聞こえる」など多くの素晴らしい作品を残した。
  映画への情熱は衰えず、地元の八王子を舞台にした映画を撮影したいと、自身初の時代劇「まつりの朝」(仮題)の構想を温めていた。戦国末期、乱世に乗じて世に出る機会をうかがう野心家の若者が、「真の侍」を目指す物語。八王子城落城の悲劇などを絡めながら、武士道や愛を描こうとロケ地選定に取りかかっていた。

  今年1月に腎不全で入院する前には、妻の八重子さんに「最後に八王子の映画を撮るんだ。俺しかいないだろ」「スポンサーも見つかったし、後は自分流の映画にしたい。若者に思いが伝わるものにしたい」と話していたという。
  今月15日には、埼玉県上里町での自作「おにぎり」の上映会に出席。翌日から疲れが出て食事がのどを通らなくなり、18日に入院。27日深夜に容体が急変し、28日午前0時5分に日野市立病院で亡くなった。八重子さんは同日、「治ると信じていたのに。厳しいけど優しい人だった」と声を震わせていた。

  監督は今年3月まで八王子文化連盟理事長、同7月まで八王子市学園都市文化ふれあい財団理事を務めていた。2004年から八王子観光大使としても活躍し、市内の文化イベントを盛り上げる中心的存在として地元の振興に貢献した。

  監督が同連盟の理事長だった頃、一緒に市民文化祭の準備を行うなど長年親交があった同連盟の伊藤淳子理事長は、悲報を聞いて驚き、28日午前に監督の自宅に弔問に駆けつけた。伊藤理事長は「(監督は)やせていたけれども、いいお顔をしていて、口元に笑みをたたえていた」と話した。
  八王子市の黒須隆一市長は「八王子の文化の牽引(けんいん)役としてご活躍いただけるものと期待していたので、極めて残念」とコメントした。

  ■読売新聞の地域活動にも尽力 サクラ植樹などリード 
斎藤監督は、多摩地区の読売グループが地元企業と2004年に発足させた地域貢献団体「多摩さくら百年物語フォーラム」の会長として、シンボル事業のさくら植樹祭を始めとする活動をリードしてきた。

  植樹祭、写真展などの主要行事に多忙な日程をぬって手弁当で参加。折り目正しく、偉ぶらない人柄で、出席者から親しまれていた。

  小柳新平・フォーラム事務局長は「大変熱心に、こまめに動いていただき、感謝しています。特に写真展では映画監督として丁寧に作品を選ばれていた。急な話で驚きました。ご冥福をお祈りします」と死を悼んでいた。

      「昭島市の第4回植樹祭の会場に完成した記念碑のそばに立つ斎藤耕一さん、2007年9月15日」

   
 (11/29・読売新聞多摩版記事より転載 )