|
今、日本のあちこちで桜の木の衰弱が憂慮されている。
昭和20、30年頃植えられた桜の枯渇が目立ち、生あるもの寿命ありの例え通り、桜も又生き物で あることをいやでも思い知らされているのが現状である。
多くの日本人は、桜が日本を象徴する国の花であり、それを愛で、慈しみ、誇りを抱きながら長い歴史を桜と共に歩んで来た。中でもその開花時の美しさと散り際の鮮烈な印象は、潔さをもって尊しとする私たちの国民性にぴったりで、大人から子供までが最も好きな花として桜を筆頭にあげるのは当然の事だと思う。
「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは
一 親鸞 」
これは短命な桜の花の生き様を讃え、いたずらに明日に未練を残す我々を諭したものと思うが、桜に限らず、自然界の営みから私たちが教えられるものは数限りない。先人たちはそれら等自然界からの教訓を一つ一つ身に付けながら生きてきた。
大地はコンクリートとアスファルトで覆われ、森林の樹木はなぎ倒され、川の清涼さが失われつつある現代、私たちが教科書と仰ぐ自然界の営みは、すでに人間社会からは縁遠いものとなってきた。単に生活の知恵だけの問題ではなく、情操的にも、思索的にも自然と人間の共存する社会こそが理想であるという事が、ようやく気がつき始めた今、枯渇の目立ち始めた桜の木が私たちに訴えるものは極めて大きい。
このような時期の「多摩さくら百年物語」構想は、極めて意義深く、適切、且つ有益な企画である。
一般にソメイヨシノに代表される桜に木の寿命は70年位と云われるが、「さくら百年物語」と呼称したところに意味がある。つまり子孫代々100年はおろか千年も万年も未来永劫に、その思いは不滅であり、桜の木を決して絶やしてはいけないという熱い想いを未来に繋ぐドラマなのである。
これは、自然と人間の雄大なドラマでありロマンでもある。
多摩川という日本有数の自然動脈を抱えている私たちが、この川域に展開しようとする「桜の回廊」が、決して夢物語に終わらぬよう、私たちは、今まさにその糸口を切り拓こうとしている。

|